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ザ・ビートルズのファンには周知の事実ながら、本当の事情はよく知られていない、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが別居していた「失われた週末」と呼ばれるプライベートな日々。その時期、ジョンはどこで、誰と、どんな生活を送っていたのか     
ジョンとヨーコの個人秘書であり、プロダクション・アシスタントを勤めていた中国系アメリカ人、メイ・パン。本作は、ジョンがヨーコの強い希望でメイと過ごすことになった、1973年秋から75年初頭にかけての18カ月間を、メイ本人の証言によって描くドキュメンタリーである。ジョンはこの間、メイの助けを借りて、最初の妻シンシア・レノンとの長男ジュリアン・レノンと再会することができ、「失われた週末」という呼び名とは裏腹に、アルバム『マインド・ゲームス』(73)や、エルトン・ジョンをゲストに迎え、全米シングルチャート第1位を獲得した「真夜中を突っ走れ」を含む『心の壁、愛の橋』(74)ら名盤を創作。デヴィッド・ボウイやハリー・ニルソン、ミック・ジャガー、リンゴ・スターらとのコラボレーションや、ポール・マッカートニーとの久々の再会など、ビートルズの解散以降のソロキャリアのなかで最も多作で、商業的にも成功した時期を過ごした。ジョンの名曲の数々や貴重なアーカイブ映像、写真とともに、メイが若き日の自分とジョンとの忘れ難い日々を回想しながら、彼女の目で見た素顔のジョン・レノンが生き生きと蘇る、ファン垂涎の一本。
May Pang
メイ・パン
1950年、アメリカ合衆国、ニューヨーク州生まれ。中国系移民としてスパニッシュ・ハーレムで育つ。71年よりビートルズのジョン・レノンとオノ・ヨーコの個人秘書、プロダクション・アシスタントとして働き始め、アップル・レコードだけでなく、ユナイテッド・アーティスツ・レコード、フェイマス・ミュージック、アイランド・レコードのアシスタントとしても音楽出版にも携わる。89年に音楽プロデューザーのトニー・ヴィスコンティと結婚。08年に「失われた週末」を未公開写真とエピソードで綴った『ジョン・レノン 失われた週末』(河出書房新社)を発表。12年には自身の風水ジュエリーブランドを立ち上げるなど、写真家、作家、ジュエリー・デザイナーとして多方面に活躍している。
John Lennon
ジョン・レノン
1940年10月9日、アルフレッドとジュリアの長男として、イギリス、マージーサイド州リヴァプールに誕生。両親の離婚により叔母のメアリー(ミミおばさん)夫婦に育てられる。クオリー・バンク中学時代にビートルズの前身バンド、クオリー・メンを結成。ビートルズではリーダー的存在で、リズム・ギターを担当。62年8月にシンシア・パウエルと結婚。63年4月に長男ジュリアンが生まれた。66年11月にオノ・ヨーコと出会い、69年3月に結婚(シンシアとは68年11月に離婚)。73年秋にヨーコと別居し、メイ・パンとの「失われた週末」を過ごす。75年2月にヨーコとよりを戻し、息子ショーンの誕生(75年10月)以後は子育てのために5年間“主夫”となる。80年に音楽活動を再開し、ヨーコとの共作・共演アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表したが、その矢先の80年12月8日、マーク・チャップマンに銃で撃たれ、40歳の若さで死去。代表作は『ジョンの魂』(70)、『イマジン』(71)、『心の壁、愛の橋』(74)、『ダブル・ファンタジー』など。
Julian Lennon
ジュリアン・レノン
1963年4月8日、イギリス、リヴァプール生まれ。ミュージシャン。5歳の時にジョンとシンシアが離婚した後は、母の元で暮らす(シンシアは2015年4月死去)。「失われた週末」の時期に制作されたジョンのアルバム『心の壁、愛の橋』収録の「ヤ・ヤ」ではマーチング・ドラムを叩いた。84年にアルバム『ヴァロッテ』でデビュー。タイトル曲は父親そっくりのメロディ、サウンド、ヴォーカルがビートルズ・ファン以外にも話題となり、アメリカで9位を記録。アルバムも大ヒットとなった。85年と86年には日本公演も行ない、ビートルズ・ナンバーも披露した。代表作は『ヴァロッテ』、『フォトグラフ・スマイル』(98)など。22年4月、ウクライナへの人道的支援を呼びかけるSNS運動「Stand Up For Ukraine」に参加し、「イマジン」を披露。同年12月にシングルとしても発表した。「ヘイ・ジュード」(68)はジュリアンを励ますためにポール・マッカートニーが書いた曲である。
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